創立の由来
本学は、1934年に長崎市に創立されたカトリック修道会「純心聖母会」が設置母体です。本修道会は日本人司教、早坂久之助師により創立され、学園創立者シスター江角ヤスは初代会長に就任しました。シスター江角ヤスは、その事業として日本をはじめ南米(ブラジル)にも教育活動、福祉活動を目的とした関連施設をつくり社会貢献に尽くしました。東京、長崎、鹿児島の「純心女子学園」姉妹校は、キリスト教(カトリック)精神に基づいた人間教育を基本とする同じ「純心精神」のもとに女子教育の発展に尽くしています。
1934年(昭和9年) 6月 | 本学園設置母体である純心聖母会創立(初代会長シスター江角ヤス) |
1935年(昭和10年) 4月 | 純心女学院を長崎市西中町に創立 |
1945年(昭和20年) 8月 | 長崎市に原子爆弾投下、純心生徒・教職員214名殉難 |
1963年(昭和38年) 5月 | 初代理事長 江角ヤス、学校法人東京純心女子学園を創立 |
1964年(昭和39年) 4月 | 東京純心女子高等学校(全日制普通科)開校 |
1967年(昭和42年) 4月 | 東京純心女子短期大学(音楽科・生活芸術科)開学 |
1971年(昭和46年) 4月 | 短期大学音楽科・生活芸術科の専攻科を設置 |
1973年(昭和48年) 4月 | 生活芸術科を美術科に学科名変更 |
1984年(昭和59年) 5月 | 江角記念講堂完成 |
1986年(昭和61年) 4月 | 東京純心女子中学校開校 |
1989年(平成元年) 4月 | 短期大学英語科増設、東京純心女子学園創立25周年記念式典を挙行(パイプオルガン設置) |
1996年(平成8年) 4月 | 東京純心女子大学・現代文化学部 (英米文化学科・芸術文化学科)開学 |
1999年(平成11年) 3月 | セントメリーホール完成 |
2004年(平成16年) 4月 | 英米文化学科を現代英語学科に学科名変更 こども文化学科増設 |
2008年(平成20年) 4月 | 現代英語学科を国際教養学科に学科名変更 |
2015年(平成27年) 4月 | 東京純心大学に名称変更 看護学部(看護学科)を増設 |
東京純心女子学園創立者 シスター江角ヤス
略歴
1899年 | 2月15日島根県に生まれる。 |
1920年 | 東京女子高等師範学校(現 お茶の水女子大学)卒業。 |
1923年 | 東北帝国大学(現東北大学) 理学部数学教室入学。 |
1924年 | 仙台市の畳屋丁教会にてキリスト教(カトリック)の洗礼を受ける。 |
1926年 | 東北帝国大学理学部を卒業。京都府立京都第一高等女学校の教諭となる。 |
1929年 | 雙葉高等女学校の教諭となる。 |
1930年 | 文部省より嘱託され、英、仏、伊国の教育視察。仏国にて新修道会創立準備。 |
1934年 | 長崎教区長早坂司教により純心聖母会創立。初代会長に任命される。 |
1935年 | 早坂司教により純心女学院(長崎市)創立。学院長に任命される。 |
1940年 | 聖名修道会より聖名高等女学校を譲り受け、翌年鹿児島純心高等女学校と改称。理事長に就任。 |
1945年 | 8月9日長崎市に原子爆弾投下。被爆。 |
1962年 | 川内純心女子学園(鹿児島県川内市)設立。理事長に就任。 |
1964年 | 東京純心女子学園設立。理事長に就任。 |
1967年 | 東京純心女子短期大学設立。社会福祉法人 純心聖母会を設立。理事長に就任。 |
1970年 | 恵の丘長崎原爆ホームを設置。 |
1974年 | 純心女子学園(長崎市)の理事長に就任。 |
1980年 | 11月30日恵の丘原爆ホーム別館にて帰天。12月3日長崎市栄誉市民称号を受ける。 |
受賞歴
1956年 | 長崎県知事教育功労者表彰 |
1959年 | 文化大臣教育功労者表彰 |
1960年 | 藍綬褒章受章 |
1964年 | 長崎新聞社文化章受章 |
1968年 | 西日本新聞社社会文化賞受賞 |
1976年 | 勲三等宝冠章受勲 |
姉妹校
純心ファミリーは、「教育と福祉」の理想を求めて各地で活躍しています。